めげない

 家呑みしたら記事を書くルールの徒然日記。

祖母が亡くなりました。














緊急手術のあと、私は何度母と共にICUまで祖母に会いにいっただろうか。夜に呼び出され、急に集まれず母と私の2人きりで先生からの話を聞き、その話を叔父と叔母に私からしたり、夜中から一度帰ってまた朝はやくに病院に行ったり、とにかく私が今まで体験したことのなかった、大人にならなきゃ体験できないだろう奥の奥まで、祖母が私に見せてくれたのかもしれない、と思うぐらいに色んなことがあった。救急で運ばれて約1ヵ月。けれどもそれ以上だったような気がする、と誰もが言っていたように、私たちに心の準備の為の時間を残してくれた気がする。

覚悟をしてください、という言葉を私がその場で聞いただけでも2度。4度目の先生の言葉のあとも、祖母は何時間も心臓を動かしていて、私たちはそのそばにいた。どうしても病院を出なきゃいけない用事があって急ぎ足で出て行っても、息を切らして帰ってくると祖母は心臓を動かして待っていてくれていた、ということが本当にこの1週間は何度もあった。

すごく自分自身よかったなと思えたのは、私は今回私が出来ることは出来るだけやろう、仕事をしていないので時間の融通がきくのだから、という事を考えていたんだけれど、その通りに出来たなということ。そして、26歳という年齢を重ねていてよかったなということは本当に心から思えた。自分で車が運転できて、ある程度の買い物も1人でできて、ご飯も自分勝手にとることが出来て、あまり眠らなくたってぐずったりしないでいい大人でよかった。

そして愛用E-420ちゃんでいつかの日に私が撮影した写真が、祖母の遺影につかわれました。とても天気のいい日に、施設にいつものように顔を出して、母と2ショットで撮影した写真。その中の祖母は、おばが思わずその遺影を見て泣き出すぐらいに、上品に綺麗に佇んでいてとても素敵なのだ。父方の別の祖母が亡くなったとき、私がインスタントカメラで撮影した祖母と海に出かけたときの写真を親戚皆で見て、「この写真撮ってくれてありがとう」といわれた事が、私が事あるごとにカメラを持ち出して写真を撮ったことと繋がっているんだけれど、今回のこともすごく繋がった。
遺影の写真とちょうどその写真のL版サイズも葬儀屋さんが1つ写真立てに準備してくれてたんだけど、それをおばが自分用にもひとつ欲しかったな、と言っていたので、今日は母にばれないようにこっそり私のカメラでその写真を撮影するという超アナログ形式コピー方法をもちいて現像してきた。おじの家に置くとは別に、私の母と2人のおば用に写真立てに入れたので明後日にもプレゼントしようと思う。


おばや母から聞いた祖母の話はもう最強伝説で(笑)とてもお酒がつよくて我が強い、最強の母だったらしい。最後の最後までそばにいれてよかった。まだしばらくは皆で集まって食卓をおじの家で囲む日々が続くのだろう。よーし、精一杯手伝うかよっしゃ!という気持ち。


しかし・・・まぁ分かってはいたんだけれど、その後の日々の方が忙しいんだなほんとうに!(笑)あまり出来ないながらもせっせと台所仕事を手伝っては色々な人に「鈴木ちゃん、花嫁修行だよ!これも勉強だわ!お嫁にいくとほめられるわよ〜!」と言われます。しかし母は仕事を一週間休みももらい、とにかくここ数週間は病院通いもそうだけど仕事がとにかく忙しそうではあったので、ゆっくりできればいいと思いつつ。


そんで明日はなんと父の命日ですよ〜もう一年たつのってはやいね!私も日々自分なりにがんばろうと思いました改めて。よーしまずは部屋の掃除だな(ただいま絶賛カオス中)