めげない

 家呑みしたら記事を書くルールの徒然日記。

君に見せたいものがあるんだ!

 

 

三連休の最終日、週末つくりおきの弁当おかずをつくりつつ呑む一杯もおいしいね~とにこにこだぜ。お供はいつものピーチフィズ。


それにしても約60分間ずっと冷たいまま、氷もとけないまま、というのがすごい。文明開化…

 

今夜は「自分の気持ちを文章化する」ということについて。

 

 


小学生の頃にムーミン童話シリーズと出会い、ゆずの岩沢厚治というお方の「灰皿の上から」「終わらない映画」という歌の歌詞にときめいた末、私は「日本語で表現されたもの」が好きになった。学生時代はとにかく図書館に足しげく通い、授業中暇をもてあまそうものなら国語、現国の教科書に載っている小説を何度も繰り返し読んでいた。


とくに、吉本ばなな作「キッチン」を読んだ時の、なんともいえない読後感がわすれられない。

 

キッチン

キッチン

 

 

 私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。
どこのでも、どんなのでも、それが台所であれば食事をつくる場所であれば私はつらくない。

できれば機能的でよく使いこんであるといいと思う。乾いた清潔なふきんが何まいもあって白いタイルがぴかぴか輝く。
ものすごくきたない台所だって、たまらなく好きだ。
床に野菜くずがちらかっていて、スリッパの裏がまっ黒になるくらい汚いそこは、異様に広いといい。ひと冬軽くこせるような食料が並ぶ巨大な冷蔵庫がそびえ立ち、その銀の扉に私はもたれかかる。油が飛び散ったガス台や、さびのついた包丁からふと目をあげると、窓には淋しく星が光る。

 

なんともいえない絶妙さが本当に衝撃だった。気難しい単語なんて使っていないのに、シンプルなのに「これしかない」というはまり具合。さりげなくて、たまらなくて、私もそういう文章を書いてみたいと考えて、小学校の高学年の頃には創作小説をせっせこ書いていたなぁと思い出す。ある意味では黒歴史だから笑っていいよ……うん……でも、高校卒業の時には大学いけないだろうなーと思いつつそっち方面の学部がある学校を調べたり、一時期は本気で小説家になりたいと思っていた。


創作小説を書くのは続かなくて、最初から長編に挑戦しては完結できず、の繰り返しだった私。

父の影響で少年ジャンプを読み、今思えばとっくに卒業時期であろう中学後半あたりまでりぼんっ子だった私は漫画もよく読んだ。高校生のころに家族を説き伏せて念願の自宅PCを手に入れ、その当時ハマっていたワンピースで検索をしBL世界の扉をうっかり見つけてしまったのでそこからはボーイズラブ大好き腐女子としての人生が始まってしまったのもいい思い出。そこから二次創作小説を書くようになり、せっせと色々なジャンルでお話を書いては投稿している。でも本当に、二次創作という文化に出会っていなければ、私はここまで自分自身で小説を書くことを続ける生活は送れなかったと思う。萌えってすごいよ、癒しとなり日々の活力そして脳の活性化につながるよ、と本気で思っている。


小説を書くときに一番気にかけているのは、私は「自分が何より萌える小説であること」だったりする。自分の書いた小説はわりと繰り返し読み返すのだけど、それってあまりないタイプなのだろか。

 

もうちょっと細かく書くと、

・出来るだけ簡単な単語で構成されている
・よみに迷う漢字は使わない
・漢字の割合や句読点、改行の位置は、すっきり見えるようにバランスを取る(文章が横向きに表示された時の見た目のはなし)
・いいまわしと擬音語が少しだけ独特だけどなんとなく言いたいことが分かる
・シンプルだけど絶妙でなんともいえない読後感が味わえる
・何度でも読み返したくなるような登場人物のセリフや心理描写がある


こういう文章が好きなので、そういう作品にしたいなと目指し、思いながら書いている。
小説や長めの文章を書く人のタイプはさまざまあるだろうし、それは絵を描く人もそうだろうけれど、私は長編を書くのは苦手で中編ぐらいが得意なので、プロットはほぼ立てずに「登場人物に言わせたいセリフ」「過ごしてもらいたいシチュエーション」などを決めてそこに向かって直で文章を打っていくタイプ。長編が苦手なのは、「書きたかった箇所とそこへつなげるために頑張って書いた箇所の差がひどすぎる…」といつも落ち込むからです。うう、もっと頑張りたい。


アイドルにハマったとき、ツイッターアカウントを持つよりもまっさきにブログを開設した。それは小説を書いたことがある、ということがかなり作用していると思う。「こういう気持ちになったんだよ、こう思ったんだよ」を、出来るだけ自分なりの言葉で書きたかったから。嵐ファンになった2007年ごろに長文タイプのファンブログがたくさんあったのも大きい。毎日めぐってはわかるーわかるー、とうなづいていた。

 

二次創作小説と同じように、アイドルファンとしてのブログに投稿する内容も「私が何度でも読み返したくなる形」でつづっている。
「このどうしようもない気持ちを私なりの言葉で文章化して、共感してもらいたい、なにより私がすっきりしつつ何度でも読み返して楽しみたい!」、それが私が何かしらの文章を書くときのスタート地点だな、としみじみ思う。二次創作小説を書くようになって十数年、ブログはもうすぐ九年ぐらいになると思うけど、どんなに昔の文章でも読み返すと本当に自分のツボが丸わかりで、欲望に正直だな!と笑ってしまう。

  

白いシャツから受ける日差しが太陽のもので、落ちる雫は空からのもので、雲が影をかざし、その下であいつは靴紐を結んで、緑の呼吸で得た酸素を取り込み、笑った。風が黒々とした髪を追い越して、膝は冷たいコンクリートを登り、木の机で頬を休ませて、白いチョークは時折あの指先にとどまって自慢げに笑んでいる。それを窓から、海風が見ていた。

世界に愛されて生きていた。あいつは生きていた。あの学校で、土のグラウンドで、白い灯の眩しいコンビニで、時折は俺のベッドにもぐりこもうと生命力を使った。

 

二次創作で自分なりにきもちよく表現できたーと思っている文章。ログを見返すと、ちょうど10年前に書いてた…時の流れ…
これを、どこかで、何かのカップリングで読んだことがあるお方は、私と握手しようぜ。

 

 この録画見返すとこう、なんか不思議な気持ちになります。これをつきつけられて「嵐のこと好きなのお前?」ってプププされたとしても愛しさしかのこらねぇな、みたいな。

 
嵐ファンの皆様なら覚えているであろう、あのFNS放送の後に、録画を見て書いたブログ記事の一部。ほんとこの気持ちにつきた。スターをもらえてうれしかった。

  

この連休中に短編だけれど創作小説2作も書いちゃったのでひたすら読み返している自家発電タイプの私。秋の夜長、皆さんももりっと趣味をお楽しみあれ。

 

さてコーヒーいれてこよう(このブログも何度か読み返すつもりです)(やめろ)

 

  

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」