めげない

 家呑みしたら記事を書くルールの徒然日記。

アルバムを受け取る前に。


Talking Rock ! (トーキング・ロック) 2011年 03月号 [雑誌]

Talking Rock ! (トーキング・ロック) 2011年 03月号 [雑誌]

トーキングロックをお迎えに行く。しかし、岩沢さんの首に線が入っているだけなのに(笑)「はーん、やらかそう・・・さすが、こう見えてもち肌!」とか興奮してしまう私は末期だと思う。なんかもう、岩沢さんと大野さん(嵐)と勝村さんについては、何がどうかわいいのかを説明できなくなってきた。全部かわいいって言っちゃいたいぐらいだ。*1

そして、アルバムを手に入れて聴く前に、シングル「Hey和」について今の気持ちを書いておく。

Hey和

Hey和

あんまいいことは言ってません。




私はこの曲を、心の中のどこにも置けていない感覚がずっとあって、そんでその理由というのはもう「神」という単語の部分だなーって思うわけです。私ほんっとうに神様って信じてなくって、死んだ後の世界とかないだろう、死んじゃったらそこで終わりだろうって思う奴なので、この単語を「こうした形で」含んでいるこの楽曲のことをどうしていいか分からなかった。いや、別にどうしなくてもいいんだけど(笑)抵抗感はぬぐえなかったというか、その「神」という単語の含む部分に。てっぺんとは明らかに違う「神」ということもあるし。

やっぱり、好きなアーティストさんの曲って、「出来るだけないなって思いたくない」んですよね、私は絶対。それは「純粋な音楽として」とかそういうのをとりあえず置いておいてさ、私が好きなゆずが「ゆずの曲だよ」って持ち出してきたものは、出来るだけ「それはないな」って思いたくないなー、という感覚で。もちろん好みって人それぞれだし、ものすっごいたくさんの楽曲がある中で、ipodに入っていても全然聴かない曲だってたくさんあるわけですよ。でもそういう曲があったり、自分の心がたとえば少し薄くなってしまってちょっとだけ距離があいたなって思うときがあったって、いつか絶対に私の「ゆずの曲に対する欲求」を満たしてくれる楽曲が絶対巡りめぐってくる、というのが私がゆずさんのファンであり続けているひとつの理由だったりするし。

けれどこの曲に関しては、ほんとうに「置き所、わかんねぇ!」っていう気持ちしかなくって。それはこの曲の持つ壮大な何か、というか、メッセージ性もそうだし、献血キャンペーンの曲として提供されている部分だったりもしたんです。それがすべてではないし、全然、切り離して捕らえればいいだけなんだけど。献血に対しても私は、まぁ自分の弱虫心もありつつ、体格的にも制限にかかるので協力できない部分とか、正直、ほんと正直な話、今の自分の身の回りをみて「つーか今そんなこと考える余裕ないんだ、って、言ってしまったらだめですかねほんと」とかいう投げやりな気持ちもあるというか(笑)私の心が一番に今求めているのは平和じゃないんだな、っていうのもあったし、でもだからって平和を望んでいないわけでは全然ないし。求めるものと新しく受け取れるものがイコールになることのほうがまれだしそこは自分のワガママじゃん!っては思うけど、とにかくイコールしないと受け取れないな、って自分が思ってしまうような、そんな楽曲だったのです。


その楽曲自体は、ものすごく時間をかけて手がけたのがきちんと分かるような暖かみとか音の綺麗さだとか、あとやっぱりゆずさんの2人の声とかが、もうやっぱりそこは嫌いには絶対なれないわけですよ。気になるその単語以外の部分も、自然にゆずさんが浮かび上がってくる歌詞で、距離も感じなかったし。だからこそそこもひっかかって、出来るだけこの曲を、すっごく受け入れる体勢をつくってから受け取りたいというか、とにかく自分の心のどこかに置きたいんだけど、その場所がこんな気持ちのままじゃ見つかるわけねーじゃん!っていう気持ちがぐるぐるしてた。


でもそれはラジオでの先行オンエアだったりCMで見た楽曲を見ていた時期の話です。そこで言いたいのが、もう、カップリングありがとうございます、ていう。カップリングを聴いて、なんかもうほっと一息つけたというか。

カップリングは「心伝う話」、ゆずストームや雑誌インタビューで、どんな曲かというのを「短い曲でゆずっぽくて、音楽を楽しむということを念頭において、カズーも2人でブーブー鳴らして一発撮り」という感じで聞いていたんですけど、とにかく「hey和」を聴いた後にこの「心伝う話」を聴いて、それを2回繰り返したときに、すとんと何かが抜けたような気がしたんです。というか、まぁ正直な話、この曲の最初のゆうじんの声を聴いて、なんかこうすっごくほっとしたというか。

「心伝う話」を聴いて、とりあえずこの「hey和」という曲は、「いったん、とにかく置こう」という感覚になれました。この曲に対する気持ちはまだうだうだのぐるぐるのブドブドで形が全然決まってなくって、なんていうか未だにこわごわでもさわれない、指先でちょいちょい触るぐらいでなんから手には今はもてない、ぐらいの感覚だというのは変わらずだけれど、「とにかく置いていていいんだ、私の気持ちが落ち着いたときに考えてみていいんだ」と思えたというか。不思議な曲です、あの「心伝う話」は。2人の歌声を聴いて安心するっていう。


後から雑誌インタビューで「最近、テレビなんかを見ていても、軽い発言が多いなぁと思って」みたいな事をいっていた気がするんですが、岩沢さんって、ほんと「どっちでもいいんだけど」で終結できるような歌詞のセンスが素敵だなって思いました勝手ながら。そういう歌詞じゃないかもだけれど、やっぱり、もうしんどくてもう「がんばれっていうなよ頼むからさ、」ってやさぐれて曲なんて聴きたくないときでも、なぜか岩沢さんの曲ばかりは聴きたくなる。


アルバムを通して聴いたとき、私の心・・・っていうか私生活と言うか、これからの将来のこととか(笑)がまた落ち着いたときに、違う感想が生まれるのだろうなと思う。曲というのは、それ自体はなんら変化ないのに、ずっと同じ場所にはいなかったり、逆にほんとうにずっと同じ場所にいてくれたりするので、ひとまず今の現時点での感想を。〆!

*1:実際言ってる