めげない

 家呑みしたら記事を書くルールの徒然日記。

新しいあさがきた、

 

王国〈その4〉アナザー・ワールド

王国〈その4〉アナザー・ワールド

 

 

そんなわけないだろう。君のいない人生なんて、もうないほうがましだ。考えられないよ。俺たちはみんな、君が生きているだけで、呼吸してるだけで、もうなんでもかんでもかまわないくらいなんだから。

 

 

姪が生まれた。

 

 

本当に、こんなにもかわいいと思える存在になるとは思っていなかった。姉が母になること、母が祖母になることがなかなか実感できなかったのだけど、未だに、泣いている姪を抱っこしても居心地悪そうにさらに泣かせてしまったりしながら、「こういうことなのかも、こういうことなのかもな…」とふわっとしている。


今一緒にずっと暮らしているのだけど、小さくて、寝ておっぱいを飲んで泣いて寝て、の繰り返しの時から顔を見ているだけで飽きなくて、今は目が合うし笑うとにこ!と笑って反応してくれて、あうあう声も出す。もう、たべてしまいたいぐらいにかわいい。


結婚願望もあって子供もいつかは欲しいと漠然と思っていたのに、今は逆に「一生結婚しないままじゃないか(というよりもこのまま人を好きになることがないままなんじゃないか…)」と考えている私。なかなか子供を授からなくて私よりうんと若い年齢で不妊治療を頑張って薬の副作用でまいってしまっている子の、親友が授かり婚をして産休に入ったり、上司の産休育休報告のたびにチクリとする物言いにちょっと嫌味を言ってしまったり、そういうのがあって、「結婚」「妊娠」「出産」というワードが入る話をしたり聞いたりするとき、なんだかよく分からないもやもやだったり、逆切れに近いような気持ちになったりしていた。

けれど、姪が生まれてきて、新しい家族が増えたときに、ずっと姉の大きくなっていくお腹とか実家にベビーベッドを用意したりとかしていたのに、本当に真新しい感動と驚きと新鮮さと唐突さがすごくて、本当に不思議だった。こうして人は人に迎え入れられて人生をスタートさせるのか…「みんな初めてがあるのよ」というのは真実だったのだ当たり前だけど…という気持ちだった。


姪は、これからどういう人生を歩むのだろう、と普通に考える。両親である姉夫婦は本当に周りの人たちを大切にして大切にしてもらっている二人なので心配はないのだけど、たとえば、いつの日か、姪が何気ない不安や悩み事を抱えている時期に、私が救える部分があれば救ってあげたいと勝手に考えてもいる。

 

私が小学校高学年のとき、「異常にトイレが近くなる」という症状が突然現れた。なぜだか知らないけれど突然、音楽の授業中に、おしっこを1時間のうちに5回も行った。それも、我慢の末の5回で、先生も友達も心配していた。自分でもつい2、3時間前までは普通だったのに、と思って、しかもそれは夜中になっても全然治らなくて、母に深夜に救急に連れて行ってもらった。

結果は異状なし。尿検査でも何も出ず、担当医からは「気持ちのところからきているのかも」と言われてしまった。確かに私の中で排尿に関してのトラウマが小さいながらにいくつかあって、でもそれは今考えてもおそらく誰にもである幼少期ならではの失敗談だと思うし、ひとつなかなかの出来事があるにはしても(苦笑)今まで意識していなかったのに、と今になっても思う。

その頃から私の「トイレが近い感覚」はいまだに残っている。飛行機や新幹線はぜったいに通路側のトイレに近い場所を選ぶし、映画館は予告始まる直前にトイレに行くし、どんなに公演に間に合いそうになくたって3時間のコンサート観劇前にトイレに並ばないなんて考えられない。大人になって多少はマシになったけれど、緊張したら、体感気温が低かったら、もうとにかくそわそわしてしまう。ディズニーランド等のアトラクション遊園地が苦手なのも、アトラクションに乗る直前にトイレをすませることが難しいから。


私は母とすごく仲がいいのだけど、母は常に冷え症でお腹をしょっちゅう壊していて風邪をひいたらすぐ病院に1人で行く私よりも、常に健康体でたくさん動いてご飯を食べて運動系の仕事につく姉を心配する。それはそうだろうなとは思いつつもたまになんでだよと考える。そんなとき、「この子いつもトイレ近いのよ、出かけ先でもしょっちゅうトイレ行くの」と私のことを母が言った時、母方の叔母が笑いながらこう言ってくれた。


あっはっは!いいじゃなーい、トイレなんて何回行ったって。タダなんだから。じゃんじゃん行けばいいんだよ!


この体質をどうにかしたいと本当に考えていた私にとって、とても嬉しい言葉だった。そうじゃんタダじゃんトイレなんて。自分で周りに失礼にならないタイミング見計らってどんどん行けばいいんだ。


つい最近この話を叔母にしたらすっかり忘れていた。母と性格の違う叔母は、私たち姉妹のことをとてもかわいがってくれたし、今振り返れば言うべきことをぐっと言わずにそっと過ごしてくれたのだろうなという事もたくさんある。


長くなったけどとにかく何が言いたいかというと姪っ子かわいい本当にかわいいいつまでもいっしょにいたいけどきっと今だけなのだ私がこうして同じ屋根の下で眠る日々は、と思いながらほっぺにチューしていますということです。この幸せが続くなんて、奇跡みたい。