めげない

 家呑みしたら記事を書くルールの徒然日記。

戦後67年、復帰40年を考える。

平和学習というかたちでガイドさん付き、みっちりほぼ一日中、沖縄戦跡をめぐった。




沖縄戦での実際にひめゆり学徒隊と共に看護師として働いていた方、からずーっと沖縄戦のことを聞いていたというガイドさんと共に。だからなのだろう、とてもとても沖縄県民からの視線で語られた戦争体験であり、そのガイドさんの口から今でも「大和(ヤマト)」という単語が出てくるのがある意味でリアルだった。戦争の話になって沖縄を語るとなると、その単語はなくてはならないものだろうけれど、普通に自然と言うのね、「やっぱり向こうの人たちは、大和の人たちは考え方が違うんじゃないですかね、」とかって。


基地のこともそうだけど、たとえば戦争のことを、当時関わった人たちだけでも見方はそれぞれあるというか。平和がとてもかけがえのないもので、戦争はその平和をいとも簡単にさらっていってしまうとても悲惨なもので、二度と繰り返してはならないものだ、人が人としていられないものなのだ、という大きな大きな柱は確実に存在していて、それをどの場所から見るかによって違うんだなというだけなんだけれど。

実際の場所に行って、実際の体験者から聞いた話を聞くと、そんな悲惨なことがこの場所で67年前に起こったのか、と考えぞっとした。
あとこれは私が学生の頃にはほんの少ししか考えなかったことなんだけれど、やっぱりその戦争がどうして起きたのか、日本が過去それまでにどういったことをしてきたのか?という部分を始まりとしなければ、本当の意味での平和学習にはならないな、という事。今回は沖縄県民からの視線、と書きましたが始まりがちゃんとそこにさかのぼっていたというか、飛躍しすぎだと思われる方も多いと思いますが「日本が琉球王国を侵略、その後もろもろあって廃藩置県時に沖縄県とした」までもさかのぼったんですよね。そこからずっと沖縄は侵略され利用され続けている、今もなお基地の割合から見ても、という感じで。


正直に書くと、以前、てか6年前ぐらいかな・・・正確なのは忘れましたが、バラエティ+報道特集の特番かもしくは何かの番組のひとつのコーナーとして、「沖縄県琉球王国として新たに独立するべき?」的座談会というか、沖縄県民VSお偉いさま方(ジャーナリスト、政治家などなど)みたいな構図でしゃべりば的なことやってたのを見たことがあって。記憶が不確かなんですが、もしくは沖縄県の問題色々を話し合っている中で白熱していって、誰か(沖縄県民側)がぽろっと「沖縄はそうしたらいいさー!」と言い出した、の流れだったかもだけれど。


その時基地問題とか沖縄戦でのもろもろとかちょこっと出たかなと思うんだけど、私は「今の暮らしを考えて琉球として再出発するのってどう考えても夢物語っていうか、それはちょっと沖縄の人のいいとこどりだろう」って思ったんです、学生の頃に。

そういうのって沖縄が独自の文化を持っていて気候にも恵まれていて、ていうのはもちろんあるけれど、やっぱり日本の中の沖縄だから、ていうのもあるんじゃないかなって漠然と思ったんです。自然があり、きれいな海があり、独自の料理や伝統や文化がある、だけど綺麗なホテルや涼しいクーラーやテレビやネットがあるじゃん、ていう。この私の書いた例えも相当だけど、それぐらい突拍子ない理想論言ったな!ていうか。


なのでちょっともにょもにょ、と思う部分はあれども、平和学習について、戦争について、平和について、地元で起こった沖縄戦というものについて、深く深く考えた日でした。もう信じられない話ばかりなんだよ、実際。その事実を知っている方々が高齢でどんどん亡くなっている現状に、ガイドさん含め平和遺跡、戦跡の保護や平和学習に力を入れている人々がものすごく恐怖を抱いている、というのが空気で伝わった日でした。生き証人がいなくなってしまう、というのは確かにとてもとても恐いと思う。人はどうしたって忘れてしまう生き物ですからね。


うーんまとめられてないですね。しかし信じられない本当に、という気分になる。平和な証拠・・・と言えればいいんだけれど。まぁこれも色々な側面というか複雑なことがあるんだろうけれど、とりあえず憲法、とくに9条変えようとかいってる政治家は2日休みとって、沖縄戦跡を、当時のことをよく知るガイドさん付きで巡ってみたらいんじゃないかな、とすげぇ思いました。それでどうこうってわけじゃないのはまぁ分かるけど、これは今基地問題とか自衛隊とかは抜かしてね。それは複雑に色々あるのだろうし、どうだとは言えない問題だと思いますが、とりあえず見に来て色々感じて考えて、それから発言してよねっていうスタートラインの話でね。教科書問題に関しては解決するんじゃないのって思うけど。もっと戦争のことは詳しく書けばいいのに、って思った矢先になぜ省略するし。



慰霊の日に盛大な慰霊祭が行われる平和記念公園で昼食をとったのですが、学生時代ぶりに訪れると、あの場所がものすごく大事な場所としてつくられたのかが分かった。清潔でゴミひとつ、雑草ひとつ放置されていない場所。正面から入ってすぐの記念資料館などがある場所は、まるで美術館のような冷たい空気の存在する佇まいだった。ネットで見ると、「記念碑のみの建設にとどめず、造形物を配して芸術性を付与し、訪れる者に平和の尊さを感じさせ、安らぎと憩いをもたらす場とする。」とあって、すげぇ納得しました。憩いの場としてすごく確立しているんですよ。


海が向こうに見えて、屏風型(海に打ち寄せる波をイメージ)の石に戦死者ひとりひとりの名前が刻まれた「平和の礎」ここには日本人(県内/県外各都道府県ごとに分かれている)以外の外国の戦死者の方々の名前も刻まれている。韓国や台湾、朝鮮などは国交の色々や「刻んでほしくない」という遺族の希望なども相まってすべてではもちろんない。

この平和の礎の建設の時、「戦争とはこれだけの尊い命が消えてしまうものなのだ、という事をあらわしたい」という思いもあったそうです。『沖縄で起きた地上戦で、この名前の数以上の人が、生きていた人が亡くなりました』という。
びっしりと埋め尽くされた名前には、「○○の長男」「○○の息子」といったふうに、名前を刻まれていないものも存在した。風がたくさんたくさん海から吹いてきて、晴れの日は信じられないぐらい綺麗な風景が見える場所。


ここはニュースなどでもよく流れるので有名だと思いますが、皆様沖縄にこられる機会がある際は、ぜひお立ち寄りください。




しかし・・・2時間はごつごつ道やら階段やら坂道やらを歩いたり下ったり登ったりした一日でもあった(笑)明日は筋肉痛覚悟やで・・・