めげない

 家呑みしたら記事を書くルールの徒然日記。

日常とそのときの心境。

以下は私の家族の緊急の話。と、それについて思ったこと、私がしたことなど。えーっと内容的に明るくはないです(笑)





水曜日、私は実習の試験があってそれを無事終えることが出来て家路についたんだけれど、母方の祖母が救急へ運ばれた、という電話をその帰宅途中、車の中で聞いた。
祖母は3時間に及ぶ緊急手術を経て、今は少し落ち着いたところだという。今日母と一緒に生まれて始めて入るICUの中で、ただひたすら呼吸し眠る祖母に会いに行って、母からも色々聞いて、ようやく私もちょっと落ち着いた。

ちょっとここ数日は心配というか、なんというか・・・心が落ち着かない状態でした。学校にいる間は全然そんなことなく普通に過ごしているんだけれど、ふとした瞬間に不安が押し寄せたり、家にいても何をすればいいのか分からなくなったり。
いつもは見ている動画や聴いているラジオを聞ける気にならず、本を読んだり、ネットで小説を読んだり、お気に入りの漫画を読んだりしていました。


祖母はいま老人介護施設に入っていて、家からは車で50分ほどのちょっと離れたところなんだけれど、母が休みのたびに顔を見せにいくので、家に比較的いることが多い私もよく顔を見せにいっていた。つい2週間前の休日にも行ったと思う。
あまり、というか全然会話をしないし、私たちがそこにいるのなんて15分ぐらいしかない。けれど最後いつもバイバイをするとバイバイと手を振ってくれるし、母が持ってくる甘いちょっとしたお菓子を楽しみにしている祖母。

私がこの日記によく書く父方の祖母と私たちは幼少のとき隣同士に住んでいたこともあって、とても仲がいいほうだ。家も近い私たちは事あるごとに顔を見せるようにはしているし、最近では私に頼みごとをしてくる機会も増えたように思う。前の職場へ通った3年間は夕方ご飯を一緒に囲んだ。祖母となら沈黙もさほど苦にならず、テレビを見ながら多少話を続けることはできる。車にのって買い物にだって出かける。

母方の祖母とは、それと比較すると幼少のころから本当にまれにしか会わなかった。正月や行事ごとには祖母の家へと出かけたし、一時期叔父の家にお世話になった数年間は祖母も同じ家にいた時期さえあったのに、その時も会話をあまりしていなかったのだ。
けれど祖母は母や叔父とはよく言い合いをしふてくされた態度をとったりするけれど、私たちにきついことをそっけなく言いきることはなかったように思う。ちょっと恥ずかしそうに、よそよそしそうに接してきていた。注意をすることはあってもそれは本当に注意だったし、「娘の子供たち」として特別な眼で見てくれていた。

母は否定するけれど、祖母と母はよく似ていると思う。人見知りでちょっと頑固なところと、あとはちょっと抜けているその様がとてもチャーミングに見えるところなどが。だから私は母と祖母が会話しているところを見ると、つっけんどんな両者の会話に「かわいい2人だな」と上から目線で思う事が頻繁にあった。どちらもいじっぱりで照れ屋なんだ。素直になればいいのに、と勝手に思って笑ったりしていた。そしてそんな性格を私もよく受け継いでしまったとしみじみ思う。私も母と比較的似ている性格なのだ。人見知りでいじっぱりで、頑固。


病院嫌いな祖母は、意識が戻ったら辛い日々が待っているんだろうと思う。けれどなにより、無事でよかった。無事でいられるだろうという言葉を私たちがきけてよかった。

私もそうなんだけれど、母も、叔父も叔母も、最悪な未来を想像した数日間だったと思う。けれど今回思ったのは、その最悪な未来を想像してしまうことは辛いことだし罪悪感がとってもとっても付きまとうものなんだけれど、それは心の準備にとっては必要なのかもしれない、ということだ。

祖母は高齢で、ずっと車椅子の生活だった。けれども口は達者だと親戚一同で言っていたのだ。足は悪くしていたし持病もあったけれど、ここ数年それが悪化したり急変したりはなかった。

今回の数日間、みなそれぞれの心の中で、辛い未来の想像が止める術なく開始されたと思う。そしてそんな想像を進めている自分に嫌悪感や罪悪感を持つことでとても苦しい心を持ったりもしただろう。しかもそれは、いつもとおんなじ日常の中で想像し後悔し悔やむ、という状態だった。今祖母は大嫌いな病院のベッドで眠り続けているのに、私は弁当を食べながら最悪なほうの未来を想像している、なんてひどい孫なんだろう、と。それもとてもせっぱつまった感覚ではなく、ただただ静かにそう考えてしまうというか。

でもそれはとってもしょうがないことなんじゃないか、と私はすごく思った。心はいつだって先回りしてしまおうとするし、それに待ったをかけるのは実はすごく難しい。「違う、この想像はその未来が来て欲しいわけではなくって、」と心がそれをなじったりする。でもそうしないといられない状況というのがあるのだと。そういうことなんだ。日常の中で、心の中で葛藤して、苦しい気持ちをもてあましている。実はそれはしょうがないことなんだと、今日は繰り返し思いながら母と帰宅した。


私の父は、私が小学生の頃に亡くなったが、ほんとうにとつぜんだった。ほんとうにとつぜんすぎて、私は少なくとも1,2年ぐらい、もしかしたらもっともっと長い年月ぼんやりしていたと思う。父がいつかひょっこり帰ってきそうな気すらした。もう会えないんだ、と絶望することが間に合わなかったし、永遠に会えないのだと自覚するころにはその最後の日は遠い過去だった。もちろんその時はたくさん泣いたし、とってもとっても悲しかったけれど、その後に戻った日常のほうが悲しむ時間よりも確実に多い別れだった。あの人が、私の小学校の卒業式も見れなかったことが驚愕なのだ。そうだったっけ、そうだったか、と未だにびっくりしながら考える。


大人になるとつらい別れがたくさんあるんだということを知ったのはここ数年で、私はそれまでとても恵まれた環境の中で過ごしていた。数年前に別の祖母が亡くなったとき、永遠に会えないんだな、出来るだけ会っていてよかったなと思えたことは忘れない。



で、ここまで堅苦しいこと書いといてまとめが難しくなったんですが(笑)なんというか、そういう「最悪な未来を想像してしまうこと」って、罪悪感ハンパないけどでもしないではいられないことじゃないかな、ということを今回は書きたかったのです、ハイ(笑)それが準備であってもなくても。そこに罪悪感や虚無感や自分への非難があって疲れるかもしれないけど。


今日はほんと、ひとまず顔を見れてよかった。結果も最初に聞いたのよりもひどくなくてよかった。私も日常を自分なりに過ごします。



そしてえー、いないとは思いますが(しかしほんと重いねこの文章、)もしコメントをいただけるのであれば申し訳ないですがメールフォームよりいただければと思います。直接お返事させていただきます。

2011/9/30 鈴木