めげない

 家呑みしたら記事を書くルールの徒然日記。

muuuuun・・・・




学校生活が始まってからとっても規則正しい生活(きちんとはやめに就寝し、朝時間通りに起きて弁当を作って通学し、夕ご飯もはやめに食べる)をしているので、かなり体調がいい。前の職場ですぐ腹痛をおこしたり病院に行ったり眠気がすごいのに夜眠りたくなかったりしたのが嘘みたい。

一番実感したのは視力、というか目の疲れ具合で、今は平日は毎日机に座って教科書読んだり黒板の字をかきうつしたり、ということをしているからか目があまり疲れていないです。仕事の時ってどうしてもパソコンを7時間とかは見ているので、帰りの運転中に「すげぇ目が疲れたな・・・」ってリアルに分かるぐらいだったんですよね。両目乱視入ってるらしいし、めがねの度もかなり強いので視力が落ちるばっかりだったんだけど、それが全然ない。

勉強は久しぶりなので新鮮で楽しいし、そしてやっぱり努力がこつこつ必要なんだなと実感している。でもある学科の先生が、授業を始める一番最初に話していた中で、こう言っていたのですごい私マジで学校で教わることはちゃんと教わる体制とって受け取ろう、とまた改めて思ったりしました。


この道を選んだあなた達はすごくいい選択をしたと思います。私達の関わる仕事で提供するものは、人を幸せにします。それを受け取って、いやな気持ちになる人はひとりもいません。全世界、誰だってそうです。性格も性別も、言葉も関係ありません。

そして時間の余裕的にもすごく恵まれている時期だなと思いながら、せめて途切れないように弁当作ったり。でもさー弁当ってさ・・・なんかこうレパートリーという言葉をしみじみ考えるよ。もう何つくっていいかわかんないんだよ・・・ツイッターでつぶやくようにしているのでそれがちょっとしたモチベーション的ななにか(ってなに、)にはなっているんだけど、彩りとか考える前にまじでレパートリー増やしたい。あとパン作りもはじめたい。



あと!どんだけ時代遅れなんだと思いつつこれをふらっと借りてみたので本日読みました。

博士の愛した数式

博士の愛した数式




「猫を抱いて像と泳ぐ」のときは嗚咽がこぼれるぐらいに泣いた私ですが、この物語は、最後の最後でじんわー・・・ときてうう・・・うう・・・ううううう!とかみ締めて泣いちゃうような感じでした。分かるかな(わかんねーよ)


なんですかねーこの、なんともいえない「せつなさ。」すごくせつない。やりきれないような気持ちがそこかしこにあるはずなのに、そこに終点をぐっと当てて泣きに誘うわけでもないのに。けれどそんな物語の中にあるなんでもない風景の奇跡に、小さなことで当たり前かもしれないけれどやさしすぎるやり取りに、涙がうわーと迫ってくる感じ。気が遠くなるほどにめんどうくさい空間の中で、当たり前のことが、気遣いや考え抜いたルールや2人だけでしておいた約束事の合間を縫って生まれたときの、愛しさにくるまれたようなせつなさ。その顔が見れてよかった、という安心と喜び。

最後までじんときながら泣きはしなかったんだけれど、最後の数ページでもう、ううー!となりました。で、それまでの3人のやり取り、とくにルートと博士のふれあいを思い出してやっぱじーん、みたいな。博士の胸元で揺れるカードと、ルートに抱きつく博士と。

私の好きな嵐の曲の歌詞に「愛情を注ぐ理由はいらない」という歌詞があって、それが私の私なりの嵐ファンとしてもテーマソングなんですが、まさにそんな気分だ今。好きなことに理由はいらない、けれどその好きなものの好きな部分を言葉に出来たとき、それは魔法のようで詩のようであればいいのに、と思うような。博士の言葉からつむがれる数式への思いと、それによって変化したりけしてしないルートへの、子供とそれらを取り囲む環境への愛情や意思や思い、そして子供ながらに博士の事もちゃんとわかった上で博士とふれあったルートの存在になんか涙がするーと出てきてしまった気がします。

なんかこう感想かける気がしないのでこうぐだぐだ書いてるんですが(笑)いやーなんかね。すごい。感動だけではなくって、感動とせつなさで泣けるっていうのがすごい気持ちいい読後感です。いやー読んだ読んだ。改めて、こちら側が全然興味も知識もないものをここまでちりばめて全然読むのが苦にならないってどんだけの文字マジックだよ、とまた思いました。