めげない

 家呑みしたら記事を書くルールの徒然日記。

人生にずっと持っていけるもの。

王国〈その4〉アナザー・ワールド

王国〈その4〉アナザー・ワールド

新刊出てた勢いで、財布に「いいじゃないかいいじゃないか」と悪代官(?)のように押し迫って買って来ました。そして家に帰り、一気に読みました。
この充実感、何にも変えられるものじゃないなぁ・・・服よりもアイドルさんによりも音楽によりも、私は雑誌や本などの「書籍に対して」お金をかける抵抗がずいぶんないなと最近しみじみ思います。服だと高!て思っても、雑誌とかだと「高いけどまぁな、しょうがないな」と思いながら結局持って帰ってきてしまう。写真などに対してはそれほどだけど*1、文字に対しては潔い方かも。

もうそれでいいんだ。それは確実に約束された近い未来だ。今夜、きっと間違いなくそうなるだろう。そんなすてきなことがこの世にあるだろうか?それ以上のことを望んでいったいそれがなにになるんだろうか?

俺たちはみんな、君が生きているだけで、呼吸しているだけで、もうなんでもかんでもかまわないくらいなんだから。


今までの3作とは違った雫石が見れて、雫石のすごさってすごかったんだ・・・(?)とちょっとちんぷんかんなことを思ったり。私にはやっぱり霊能力とかサイキックな力とかなくて信じている宗教もなくってそういう類の話には「うそんくさ・・・」と思わずにはいられないんだけれど、「最後には自分の魂に自信を持つべく信じていることを続けていくしかないのだ」という部分がとっても素敵だった。喫茶店のマスターよりもずっと社会に貢献していない私だし、友達少なくて家族にもあんまりお金入れてなくて自分が何をするべきかを未だに分かってない私だけど、それでも自分の好きなことに対して、自分が苦手なことに対して「自分自身が決める」しかないんだということや。自分が人と向き合うときにどうありたいかというのをきちんと持った上で、ああしたい、こうしたいと思ったり、それが実践できずにヘコんだり反省していく、その事を続けて行きたいと思った。世界にはものすごい数の命があり、私はちっぽけだけれども、今もこうして生きているということ。生き続けていくということ。自分の思うがままに生きられない日々の中で、ふとした幸せを「幸せだ」と感じられるように。そして私としては、出来るだけ「人に迷惑をかけない」生き方をしていきたい。

よく考えるとものすごい人たちに囲まれたノニが、片岡さんとともに過ごすあの最後の瞬間が素敵でした。片岡さんって最初出てきたときよりも断然今がすごく大好きになっていっていて、うわべだけではない彼のよさを垣間見れた、この読者の位置にいる私ですが、すっごくなんかこう、人は人だな、人をもっと好きになりたいな、と思えた本でした。そして、生きる事の素直な喜びや、生きるということが実はつらくて哀しくてどうしようもなくって時にはめんどくさいってこと、そんな中で自分のやりたい事が出来ない世界だったとしても、その中で自分自身を知っていくことはやめていかないようにしよう、というのも思った本でした。


友人から少し思い切った(であろうとおもわれる)事を教えてもらい、それに対して(これでも)悩んで悩んで送った自分の返信メールを見て、自分ってなんて冷たい人間なんだろう、もうちょっと、ほら、もっといい返信の仕方あるだろうに・・・、どうして日本語がうまく出てこないんだろう、となってちょっとへこんでいます。言葉は人を傷つけてばっかりなのだろうか。私は何を言ってあげれば彼女がほんの少しでも楽になれるか、全然分からない。彼女を傷つけないように励ます事って出来るんだろうか?それはどこから学べばいいのだろうか。人生は日々勉強であり、後悔と反省を繰り返していくものなんだ。

*1:なので嵐さんの掲載している雑誌もあまり買うほうではない