めげない

 家呑みしたら記事を書くルールの徒然日記。

マスター。


読み進めていた本を一気に読む。正体不明の腹痛に今日は休んでしまったんだけど、白湯を飲みながら布団を腰にまきつけて、もうなんていうか、小説というジャンルでこんなにも嗚咽が出るぐらい泣いたのは初めて、ってぐらいに泣けた本だった。なんだこれ。


猫を抱いて象と泳ぐ

猫を抱いて象と泳ぐ




小説の中に登場する人物ってよくあることだけれど特殊な人物というのが多くて、現実世界では省いちゃやってられないようなこと*1がポンと起こったりそれが一行の説明ですむのが小説、二次創作、フィクションのよいところだと思うんだけど、私が「自分なりの小さな幸せ」を理解してそれでいいと本気で思っている反面、やっぱりどこかで「私は人と違うはず、」というほんと中二思考よりも性質の悪い思いをこの歳になっても完全には捨てきれない部分があるので、そういった部分にちょっとだけ嫉妬心を抱くことがよくあります。

しかしこの物語にでてくる主人公に、その彼を見守るごくごくわずかなけれどとても親密な人々の暖かさに、本当に泣けた。彼が生きる道の中に嫉妬することが1mmもなくって、ただただ泣かされたというか、流れ的に「さぁここ泣き所!」って部分じゃ全然ないなんでもない一行に、彼の想いや、やるせない気持ちや、言いたかった言葉や、こうしていればよかったかもしれないという後悔なんかを想像してしまって、本当に本当に涙が出てくる。彼に弟がいることや、祖父が無口なこと、マスターが彼にチェスを教えた本当の意味でのマスターであること、マスターがマスターであること、祖母が彼の唇のことをずっとずっと気にかけていて、最後に素晴らしい対戦を見て彼を抱きしめたこと、ミイラと鳩と彼とのつながり。令嬢老婆と祖父の作業場でチェスをした時に、マスターのことを叫び伝えたかった彼の気持ちで泣いてからはずーっと泣きっぱなしでした。なんで私こんなに泣いたんだ・・・(疲れた)なんだろうなぁ。本当に泣かされた。想像できる気持ちがなぜかすごくせつなくて。総婦長さんの役に立ちたいと願う、総婦長さんが大きくなってしまうこと、ゴンドラの行方を不安に思う彼の心情がつらい。

一番好きな部分は、マスターの話をしている部分もそうなんだけど、あんなにも素晴らしいチェスを分かち合った令嬢老婆に、チェスのルールを教えている場面。その時の彼の気持ちを想像するととてもつらくてせつなくて悲しいのに、小説の中にいる彼は、いつかの彼のマスターのようにやさしく彼女にチェスを教えている。

これがいい。これにするわ。私はこれが一番好き


っあー疲れた・・・ワンピースのチョッパー編を読んだときのような気持ちになった。ささやかだけど他にはありえない類の愛情を注いでもらえて、そしてそれを本人も気づきとても大事にしてる。人はいつか老いていくし出来ないことが増えていくけれど、その人と分かち合った時間もその時のやり取りも色あせることなくとどめておくことも出来はする。自分の幸せを隅々まで分かっている。そうありたいと願っている。やり直せるとかそういうことではなくて、自分の人生を重ねながらも、目の前にいる人を見つめて思い出を共有しようと瞳を瞬かせている。自分の家の本棚にずっといてほしい本でした。

借りた後に気づいたけれど、「博士の愛した数式」の人なんですね。私多分あれ挫折したようが気がする。本屋でパラってめくって手に取らなかった記憶があるので、今度ちょっと借りてこよう。ああ、なんかすごいい疲れを久しぶりに味わった。目がしょぼしょぼして眠いよ(笑)


追記:なんでこんなに泣けるかというと、登場人物を見つめる自分の心情もかさなって、やるせない気持ちが後から後から沸き起こってきてせつなくてしょうがないからだと思った。

*1:その人に合ったちょうどいい職場とか、ふいに出てきたもしくはもともと生まれ持って約束されていた親の財産とか、何かを見て取れる能力とか、それをうまく使っていける仕事とか